助産師 感動の出産を手助け 資格取得方法や年収は

助産師 人の生命の誕生を手伝うという
非常に感動的でやりがいの感じられる職業ですよね。
こればかりは、女性のみにしか資格を得ることができません。
akatyan

この助産師さんというのは、きちんとした国家資格です。
専門の教育を受けて受験資格が得られます。

助産師になるには

助産師の資格を取るには、幾つかルートがあります。
何れにしても、看護師の資格がベースになていること。

看護師の資格を持っていれば(資格をとったあと)
・助産師学校
・大学の助産専攻科、大学院(これは2年間)

1年間の勉強 及び 実習 をへて、試験の受験資格を得ます。

助産師の学校等への入学が、倍率が高く狭き門になっています。
学校などにもよりますが5~10倍程度と言われています。
きちんと対策をしないといけないということですね。

看護大学だと助産学科を専攻すればの資格を同時に取れるところがあります。
その分ハードになるのは間違い無いです。

国家資格は、学校を卒業できれば、ほぼ合格まちがいなしという状況です。

助産師になるための実習は

実習期間は基本的な知識を学んだあとで、大体7月くらいから半年程度になります。
分娩介助は最低限 10例の必要があります。

実習のためのスケジュールの組み方は、学校によって変わります。
短大や大学系のほうが若干余裕があると言われていますが、
これはあくまで傾向ということです。

厳しいところだとずっと病院に泊まりこみというところもあります。

夜間実習 2人一組で、ローテションを組んでというところもあるし、
48時間待機の実習があるところも

学校にへ入る前に、しっかり確認しておいたほうがいいかもしません。

助産師の仕事内容

通常分娩に対しての介助が基本的な仕事。
助産院を営むこともできますが、医療行為が必要になった場合は
医師に頼むことになるので、実施的に多くの場合はは産婦人科などへの勤務という形になると思います。

分娩の前後、妊娠中の妊婦さんへの指導、出産後のサポートなど
出産に関わる全般的な支援をすることになります。

新生児、乳児へのケアもすることができます。

助産師の給料

助産師は独立することも出来る資格です。
看護師に上乗せの資格ですから、看護師さんよりも
傾向的には給料的には高くなるということになります。

平均530万円という数字を見たこともありますが
平均ですから、勤務の仕方などで大きなばらつきがあります。

人の生命の誕生に関わり、立会いその手助けをするというのは
他では代えがたい充実感を味わうことができます。
この本は、一読しておくといいと思います。

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2012年12月30日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:健康

はだしのゲン 作者 中沢啓治さん 本当に描きたかった最終回はいったい

はだしのゲン 作者の中沢啓治さんが肺がんのため亡くなりました。
73歳でした。
heiwakouen

自身の被爆体験を伝えるために、漫画という媒体を選び
日本だけでなく、海外にも原爆の恐ろしさが伝わって行きました。

作者がいなくなっても、作品は永遠に残ります

近年は漫画を書くことは辞めて、違う形での活動
被曝の体験者の語り部として、戦争を恐ろしさを
子どもたちなどに伝える活動に専念していました。

でも自身は、肺がんを患うまでは、毎年8月6日 広島原爆投下の日
その日に行われる 平和記念式典にはずっと出席できなったんですね。

自分の体験をあまりにハッキリと思い出してしまうのが怖かったのだそうです。
しかし、昨年 戦争・原爆の悲惨さをより伝えるために出席して反戦を訴えられたようです。
自身の運命を感じ取っていたからでしょうか。

はだしのゲンの最終回は

はだしのゲンの最終回は、漫画 と アニメ
実写版だと映画とドラマ とかいろいろあります。

ただやはり、一番オリジナルと言う意味では、漫画でしょうね。

漫画はいま複数の出版社から出ていてちょっとわかりにくいです。
わずかに編集が違うのみなので、どこのを読んでも
基本的に同じです。

きちんととっておくべき作品ですから
愛蔵版がそれに一番適していますね。

ちなみに最終回は
ゲンが中学を卒業して汽車に乗って東京へ旅立つシーンです。

もし子供に見せるならDVDのほうがいいかもしれません。
凄くインパクトが残ることは間違い無いです。

こちらは、ゲン、隆太、むすび、勝子が笑いながら歩いているシーンが最後。

はだしのゲンの第二部では何を

はだしのゲン 中沢啓治さんとしては本当は
第二部として、東京へ行ってからを描きたかった。
実際に準備までされていたようです。

そこで何を伝えたかったのでしょうか。
テレビで見たのですが
小学生への講演で「戦争だけは絶対にするな」を繰り返し訴えていました。

戦争のない世界、自分が体験した悲惨なことが二度と起こらない世界の実現
これが全世界へに発信したかった描きたかった最終回ではないのかと思いを馳せました。

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2012年12月29日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:社会

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